向かう
2014/01/27─彼らは「向かう」んです。例えば、立ち上がった子どもは「あそこにお父さんがいる」ということで、ただ、お父さんに向かっていくだけなんです。宇宙遊泳のような感じですね。それがだんだん、向かう所に歩けるような力が出てくる。その時の、歩く力の内在した能力としては「向かう」ということなんです。─
前述の抜粋は、沖正雄さんというドイツ在住のシュタイナー教育に関わる方の講演記録の一部。とても惹かれた箇所だったので、冊子を読み終えてからも自分の中で言葉が残ったまま。反芻していると、ちょっとずつ気づきが生まれてきた。それは「働くこと」も同じだなぁという事。例えば「人を助けたい」という気持ちのあらわれが、ある人は料理を作ることかもしれないし、別の人は髪を切ることかもしれない。でも、出発点は「助けたい」というその一点。外の見え方が違うだけ。内在しているものこそが大切で、目先はその時々で変わってもいいんじゃないだろうか。料理人が美容師になってもいいし、デザイナーが農家になっても、きっといい。僕の仕事の大部分は「相手の話を聞く」という時間で、端から見るとデザインしている様にはまるで映らないかもしれない。だけどその時間こそ、僕なりの「向かう」のあわられで、その結果、デザインという形でこの世に出てきている。そんな内と外の関係。面白い。「外見は一番外側にあらわれた内側」とかいう誰かの言葉。言い得て妙ですね。
写真は息子と公園にて。どんどん成長する彼はいつも全力。興味のあるものへまっしぐら。走り負けないようにしないと…。そして、今日は僕の誕生日だったので、妻と郊外へ出向いて昼間から祝杯。晩には父から不器用なバースデーコールのサプライズも。笑 今を共に過ごし、明日へと向かってくれる家族や大切な友人たちに心より感謝を。
こういう時間
2013/12/31年末は実家のミカン収穫の手伝いへ。前日から今年最初の雪が降ったりしたけど、強引に決行。ミカン山に登るとまだちらほら雪景色。たまに晴れたり、また降ったりの繰り返しの中、総勢6名でただただパチパチとミカンを採っていると、いつの間にかぼーっと無心状態になっていて、普段のデスクワークから身も心もすっかり逃避出来るのが良い。親戚や兄弟と世間話したり、焚き火にあたったり、昼間から無礼講でお酒飲んだり(苦笑)、前記事の印刷作業のつづきみたいな、皆でひとつに向かっての作業。フリーで仕事しているとこういう時間はあまり無い。高校生だった頃、東京に就職するか長崎に残るかという選択をひとり抱えこんでいた夏の夜に、畑から見た打ち上げ花火で、「残ろう」と決めたことがあった。あの夜も父親と近所のおじちゃん達とで、トラックの荷台の上でカレー食べつつお酒を飲みながら(僕もビールぐらい飲んでたかな)、花火大会を見物していた。なんだかこういう時間こそ大切なんじゃないか、とか17才なりに感じたのが理由だった訳で。そしてその選択というか直感は今でも間違ってなかったように思う。どうぞ来年も皆様にとって良い年になりますように。