誰がはじめにやるかが重要なんだ。

2019/02/12

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今冬完成した映像は全国各地の販売会で流してもらっている。順調に商品も売れているとの報告を受けてなにより。撮影話のつづきを記しておこうと思ったけれど、書きたいことはタイトルのことばに集約されそうなので今回はこのあたりのことを。僕の仕事は、見たり言ったりすると「なんだそんなことか」というようなアイデアの場合がある。今回の撮影でいえば、黒い切子を表現するために夜に撮影してみたり、プロダクトデザインをてがけたこの収納箱でいえば、折りたたみできるシンプルな5色の箱をつくってみたり。

誰のことばだったか忘れたが「なんだこのくらいだったら自分だって描けるよ」と人がいうときは、「なんだこのくらいだったら自分だって(真似して)描けるよ」と言っているに過ぎない。ということらしい。真似できると思えるくらいまで単純化された解答でありアイデアであるわけだ。むずかしいことをむずかしいままあらわすのは簡単。むずかしいことを誰もが理解できるようにみせるのが知性だろう。

タイトルはDVDを見ていて思わずこころに残った科学者スノークのことば。風船に閉じこめられたムーミンたちを機転をきかせて助けたあと、そんな方法誰でも思いつくという皮肉に対して。

……と、なんかまだイイこと書いてイイ感じの人っぽく見せようとしてるから、次はもっと意味ないこと書こうっと。

フィルムへの誘惑

2019/02/06

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3年前のオランダ・アムステルダムで、はっきりと僕が自覚したことがあった。泊まっていたホテルの部屋でひらめいたあるアイデアをおさめようと、一眼レフのカメラを構え息をひそめ記録するその数十秒のあいだのことだった。ファインダーをのぞきこむ僕の胸がはげしく高鳴り続け、自分でもびっくりした。

ジョン・レノンとオノヨーコが裸で寄りそい、記者たちの質問にベッド上でこたえるというインスタレーションアートがあったのだが、その舞台がアムステルダムのホテルであったという記憶もシンクロしたりで、家族と離れて海外で仕事を行うストレスとあいまって、愛やパートナーシップをあらわすアイデアに過敏に反応したのだと思う。まるでヨーコと精神がシンクロしたかのような気持ちになったのだ。

「実写で映像をつくりたい」

フィルムへの誘惑を僕はこのとき強く意識した。以前から短編映像の制作は手がけていたが、帰国後はより意識的に習作をつくっては自分のなかに経験を蓄え、少しずつ実写のほうへと近づいていった。

2018年夏、縁あって鹿児島の切子師 鮫島悦夫さんから薩摩切子の映像をつくってもらいたいと電話がかかってきた。制作過程は薩摩びーどろ工芸さんのブログ記事にもなっています。撮影風景の様子や、初めてづくしの新作発表会の様子も、読み返すとなんだかもう懐かしい。公開開始したプロモーション映像はこちらのYouTubeから。

映像って「時間のデザイン」だと僕は思うし、
数学的な思考やリズムとセットになるところがまた面白い。

(つづく)

土台づくりの一年に

2019/02/04

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2019年2月4日をもって独立満8年。
依頼してくれる方あっての仕事なので、本当におかげさまだなと思っています。
今年はこれからに向けての土台づくりの一年になりそうで、
意識的に言葉にしていくことにします。

5月の朝に生まれた物語

2018/05/07

180507 朝からみぃさんとライン。家族は僕とべつの場所で二、三日過ごしている。彼女が劇団をやっていた頃の仲間と会ったみたいで、当時のはなしに花がさいたらしい。劇もやりたい僕としては、彼女の劇団ホノルルアカデミーが再結成されたらいいなと思ったので、つっついた。反応はわるくない。タイトルまで決まった。『造花』である。これは彼女の脚本なので、自分だったらどんな脚本かなと考え、L’Arc-en-Cielの1998年のシングルダブルリリース「火葬」と「浸食」にあやかり、浸食ならぬ『侵入』というタイトルにしてみた。内容は細菌の話である。

『侵入』

菌だって生きている。ひとつの生命だ。寄生する母体に影響を与えてしまうほどの。ひとつの世界の状況を変化させて、思いもよらず消滅させてしまう可能性があることを菌自身はしらない。ただ生きているだけなのだ。居心地がよいから気づいたら居着いてしまっただけなのだけど、免疫系といざこざを起こしてしまう。世界の安定を司っているのが免疫系だ。菌はどこからやってきたのだろう。じつは世界の外側からだ。宇宙から星くずにくっついてチリとしてやってくる粒子だ。異世界の粒子。生態系の外の生命だ。菌と免疫系の抗いは続くが、世界のバランスは一方には傾かない。両者はただ世界の中で安住したいだけなのだ。激しくぶつかりあうが、次第に距離感がつかめるようになってくると、互いが補完しあい、出会う前よりも経験を重ねたことで成長していることに気づく。菌も共生する方向へ向かいだす。そのうち菌の仲間──家族とも言っていい──がやってくるが、自分がバリアになってしまい世界には入ってこれないことを知る。家族との別れであった。自分も菌から抗体へと変化していた。家族たちのなかには新しい世界を切望するものもいた。経験をしてみたかったのだ。方法はあった。それぞれが自分であって自分で無いものになるのが条件であった。記憶、意識、身なり、そういった類いを他の生命体や非生命体のものと混ぜこぜにされて世界に送り込まれるのだ。ワクチンという呼びかけであった。その世界に入れば家族とも再会できるかも知れないと淡い期待を抱く者もいた。そういう者は自ら志願して身をゆだねた。ただしワクチンは不完全なシステムであった。送り込まれたがそのまま世界を失う者もあった。そういう者は粒子として声も出さずに世界に居る家族を見つめた。世界を滅ぼすと忌み嫌われながらも再会を切望して今も漂っている。また、運良く世界に入れた者もいた。しかしそこは個別の世界で、パラレルワールドであった。再会を望む、彼、彼女の居ないもうひとつの小宇宙の中に投げ込まれたのだ。世界の膜と膜を互いにこすり合わせて、押し合うことで存在を確認しあった。決して見る事はできず、ひょっとすると触れていると感じていることさえ勘違いかもしれなかった。でも、菌はそれでも良かった。本人は憶えていないが自分の意思を全うしたのだ。世界と世界がところどころでぶつかった。一方の世界が侵入をこころみるが、膜は破れない。そこで築かれるのは新たな膜、世界であった。侵入はできず排出ばかりがなされ、膜は無数に増殖していった。ただその間を粒子だけがすり抜けて漂っている。それはひとつの星団のようであった。いくつもの世界が生まれては死んだ。そのたびに粒子に戻り、チリとなっては他の星団に飛んでいった。エネルギーは渦となった。動きを追っていると時間が刻まれ、物語が生まれた。粒子は粒子であるうちは、時間と無関係であった。動きの外にいたのだ。何かの弾みで動きの内に入ると、いくつかの粒子が集まった。気づけば自分たちがひとつの菌になっていた。いつのまにかひとつになっていたのだ。世界のどこか、いつの時間かは分からない。その外であろうか。その内であろうか。着床すると、そこに侵入する者はもう誰ひとりあらわれなかった。膜が揺れ、ただ静けさだけがあった。

という話。これ劇になるかな?
小屋みたいな劇場で、ひとつの小道具だけで。

だれが すきなの

2017/04/24

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ぞうさん ぞうさん

おはなが ながいのね

そうよ かあさんも

ながいのよ

 

ぞうさん ぞうさん

だれが すきなの

あのね かあさんが

すきなのよ

──童謡『ぞうさん』(作詞/まど・みちお 作曲/團 伊玖磨)

「進化する!地域の注目デザイナーたち」に掲載していただきました

2017/03/10

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お知らせが遅くなりましたが、パイインターナショナルさんから2月に発売された「進化する!地域の注目デザイナーたち」という書籍に掲載していただきました。北海道から沖縄まで、デザイナー約120名の代表的な仕事と連絡先の紹介です。

ナガサキリンネ、サンエスファーム、村菓子×inaho、長崎空港ビルディングの商品パッケージ、地元・雪浦の川添酢造の仕事を一部紹介してもらっています。タイトル通り進化!したのかはかなり怪しいですが(←ある部分はものすごく退化。事務能力とか……)、ひきつづき長崎・雪浦を拠点にデザインを続けて参ります。よろしくお願いします。

進化する!地域の注目デザイナーたち/パイインターナショナル

 

島日記1

2017/02/26

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怪しい雰囲気が漂いますがここは飲食店。(もずく入りお好み焼きは◎!)
週末から沖縄・石垣島に家族で弾丸ショートトリップ決行。なのでしばらくは島日記と称して徒然を……書くのか?
宿のホストの送迎車でかかっていたBGMが情景とピッタリで、まるで映画やなぁと思った瞬間もあったり。移動の疲れが三線の音色とオリオンビールで溶けていったり。ハンモックから降りれずジタバタする息子を眺めたり。仕事持ち込みながら、場所だけ変えて楽しんでます。

 

環境と心はセット。
成功と仲間はセット。

 

先週参加したアートイベント内で交わした、上記のフレーズが印象深く残りながらの島旅。石垣島は20代前半に訪れて以来。その時はパラグライダーをやってみたりとアクティブに過ごしながらも、どう生きていくのかと思い悩む真っ最中。この島から急転直下となる人生の節目を迎える事態となりました。(あぁ、この話はいつかきっと)

時を経て、自分が家庭を持って再び訪れることになるとは思いもよらずで、人生はフシギ。この石垣島とさらに南の波照間島は、僕を次のステージに導いた場所なので、このタイミングも何かの縁なんだろうと捉えています。

まずは島を歩こう。

冬の日記6

2017/02/17

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大事なのは、自分は何者なのかでなく、
何者でないかだ。急がないこと。

 

ある詩集を読んでいて出会った一文。ここ2,3日僕のなかに留まっている。
デザインの仕事、特に相手のまだ言葉にならないような想いを言葉にしていく場合に置いて、僕の役割は相手を何者かに定めることと言っていい。

だけど、ひとつの枠をくくるとそこからこぼれ落ちる方も見えるだけに、本来割り切れるような「わたし」や「あなた」の説明なんて半分嘘で、もっと曖昧なものに真実は宿っていると思っている。

好きの中に含まれる20%の嫌いとか、やさしいの中に含まれる10%のイライラとかとか。

「そうは言っても」。とそれもあやふやにするのだけれど。

冬の日記5

2017/02/15

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もうすぐ5歳になる息子が色々と質問してくる。何でも興味がある年頃だ。彼が理解できる言葉を用いて説明をしないと、説明の説明に派生してなかなかに鍛えられる。
ナウシカ、ラピュタ、紅の豚、風たちぬ……乗り物が好きで映画を観ていても、戦争が付きまとうことに4歳児も気付く。

「ねぇ、なんで戦争すると?」
「大人たちがケンカしてるんだね。……どうやったら終わるかなぁ?」

ふと彼は宙を見上げたが、答えはすぐに。

 

「ごめんなさい」

 

そう伝えると、息子はまたおもちゃであそびだした。
そうだね、許しあうだけでいいとにね。彼の背中に返事を投げる。

冬の日記4

2017/02/15

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義父と一緒に家族で温泉に行ってきました。小浜の宿に予約したと思いきやまさかの雲仙の旅館で、雪解け道を登って辿り着きました。(我が家のツアーコンダクターーッ!)
「背中を流してくれんかな」
「はい、いいですよ」
実の父にはなかなか素直になれませんが、ちょっとは親孝行が出来たひととき。
「前も洗ってくれんかな」
「……」

子ども達は雪でも遊べて束の間の冬の思い出。
2月はもうひとつ旅が待っています。