8,000キロより遠かったふるさと、そして父とのこと

2019/05/27

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デンマークに行ってきました。10日間の短期福祉研修です(デンマーク社会学履修という卒業証書を頂きましたヨ)成田から直行便で10時間のフライト。首都コペンハーゲンからレンタカーに揺られて約2時間。車窓からは一面の菜の花畑が広がるなか、慣れない右車線をひた走り(もとい走ってもらい)、目指すは第2の島フュン島北西の町ボーゲンセ。のどかな郊外の住宅地を奥にすすむと視界がひらけ、はためくデンマーク国旗と個性的な建物群。研修の舞台、国民高等学校「ノーフュンス・ホイスコーレ/NORDFYNS HØJSKOLE」に到着です。グリム童話をつくったアンデルセンが生まれた町もほど近く、徒歩圏内にはでっかい銅像も鎮座。(しかし、なぜに人は巨大なものと対面すると登りたくなるんだろう……なんて思いつつ大事な右腕に座ってごめんなさい)

さて今回、短期研修に参加した一番の理由は、ぼくのふるさとである長与町に拠点を構える社会福祉法人でのプロジェクトに関わるにあたり、見聞や視野を広げるため。それにしても研修が濃厚だったので、滞在中のインプット量や気づきも半端なく、共有したいことも多いので、す、が、その前に。帰国してからの個人的なエピソードから入りたいと思います。家族のこと。確執のある父との話です。書いてみます。

デンマークから帰国して2日目。まだ時差ぼけもなおらないまま社会福祉法人にて報告会を行った日のこと。デンマークの事情を話そうとすればするほど、気になってしまうのは日本。どうしても触れざるを得ない心境になり、日本国憲法の三大原則やら、社会権、生存権と教育について、健康の定義、はたまたプロテスタントの成り立ちや√2の無理数(ここで支離滅裂になりかけストップがかかる。そりゃそうだ)の話など、その道のプロたちの前で、多角的に熱弁してたら持ち時間を大幅オーバー。おぅやっちまったなぁ状態でしたが、伝えたかったことは人それぞれの「幸福」にむけて、どんな対話や実践、心持ちが必要なのか。そもそも論を通して、介護や福祉に関わる職員の方ひとりにでも、考えるきっかけが与えられたらなという想いだけでした。

そんな長すぎた講演の熱が冷めやらぬまま、自宅に帰ろうと車で信号待ちしていると、見覚えのある白ジャージと白髪が入り交じった老齢の男がひとり橋の向こうへと歩いていく姿が目に。「あれ?父かな?」すぐにそう思ったけれど、背中越しでしっかりと顔を確認できず、左折レーンに入っていたぼくの車は、信号が青に変わるとともに押し流されてしまいました。

実は、父とぼくはもう5年近くまともに会っていませんでした。

ぼくにとっては常に自己中心的なふるまいに映る父とそりが合わず、とある口論がきっかけで距離を置くようになっていたからです。だからか「父かな?でも、違うかもしれないな」と自分を納得させて、さっさとふるさとの町を抜け出そうとしたのです。日本から片道8,000キロを超える国には行けても、自宅から車で1時間の実家には行けず、ふるさとは遠い遠い場所にありました。ぼくにはもう親が父しかいません。母はぼくが物心つく頃には難病を患って身体障害者となっており、今から10年ほど前に他界しました。母のからだがどんどん弱っていくのと反比例して、ぼくと妹弟はすくすく成長していったのです。そんな子供時代の記憶の一片には、毎晩酒に酔って暴れる父と不自由な身体で家事をしていた母の姿がありました。福祉の分野に自分の職能を持って関わりたいという願いは、過去を振り返ったときに思い返す、個人的な無力感から出たものなのだと自覚しています。

話を戻します。そのまま車を走らせながらも、いつもなら考えないことが頭を占めていました。「さっきの男が父だとしたら今戻らないで後悔しないだろうか?」「このまま振り返らずに帰っていいのか?」社会福祉法人で幸福や対話について熱っぽく話したあとです。答えはすぐに出ました。ぼくはハンドルを切り、反対車線に回り込みました。交差点に差し掛かると、横断歩道の前で佇んでいる男が見えました。やはり父でした。

ぼくが窓越しに手をあげると、父はおどろきもせずゆっくり手をあげました。ハザードランプを点け交差点の先で車を停めました。車内はしんとして、長い沈黙です。バックミラーには視線を送りませんでした。「意外と来ないかもしれないな」そんな気にもなりました。もし父が来たとしたら「おう、元気にしとったね?」ぐらいは声をかけようと思ってもいました。すると、「長いこと会わんやったですねぇ」と、父がいつのまにか車の横にやってきて言いました。「そうやねぇ……」とぼくは応えます。「家族みんな元気にしとるねぇ?」と続けざまに父がたずねてきました。「うん、元気にしとるばい」そう言葉を返しながら、ぼくは父の顔が笑っていることに気がつきました。ふたこと、みこと言葉を交わしたのち、その場を「じゃ、そしたら」と別れました。

他人から見たらたわいもない光景でしょう。なんであの日、あのタイミングで父があの場を歩いていたのだろう。そして、なんでたまたまそこにぼくが居合わせたのだろう。言葉数の多い会話でも全然なかったのです。だけど、父とひさしぶりにフラットな状態で対話ができて喜んでいるぼくがいました。父もそうだったんじゃないかなと想像しています。

君は好きなことを、好きなふうにやるべきだ。

2019/02/24

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本日の『相手に言いながらも結局自分にブーメランだった言葉たち』。◎迷ったときは初心にかえろう!◎「正しいかどうか」じゃなくて「楽しいかどうか」で選ぼう!

いつだっただろう。何年も前だけどネット上で出くわした詩に思わず胸を打たれ、気づけばコピペして部屋の隅に貼っていた。色々あって2019年2月のとある深夜(そう今ですよ)。その詩を写経のようにここに残しておこうと思いたちキーを叩いている。これは僕のための行為だけど、同時にこのブログに訪れてくれたあなたや、会ったこともない誰かの為になればいいなとも思う。

「君へ」

君は好きなことを、
好きなふうにやるべきだ。
そのことが他人から見て、どんなに変でも、
損でも、バカだと言われても、
気にするな。
だって彼等は、君の願いを知らない。
君は彼等と違うものを見ているのだから。
あの、強い思いだけを、繰り返し思い出して。
そのことを忘れないで。

他人の説教やからかいなど気にせずに、どんどんやりなさい。
けして周りを見たらダメだ。
仲間はいないんだ。すくなくとも途中には。
君はやりたいように、どんどんやりなさい。
やりたいことを。
好きなやり方で。
その行為が同事に君を救うだろう。
その行為は同事に人も救うだろう。
そのことを忘れないで。

──銀色夏生『すみわたる夜空のような』より

誰がはじめにやるかが重要なんだ。

2019/02/12

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今冬完成した映像は全国各地の販売会で流してもらっている。順調に商品も売れているとの報告を受けてなにより。撮影話のつづきを記しておこうと思ったけれど、書きたいことはタイトルのことばに集約されそうなので今回はこのあたりのことを。僕の仕事は、見たり言ったりすると「なんだそんなことか」というようなアイデアの場合がある。今回の撮影でいえば、黒い切子を表現するために夜に撮影してみたり、プロダクトデザインをてがけたこの収納箱でいえば、折りたたみできるシンプルな5色の箱をつくってみたり。

誰のことばだったか忘れたが「なんだこのくらいだったら自分だって描けるよ」と人がいうときは、「なんだこのくらいだったら自分だって(真似して)描けるよ」と言っているに過ぎない。ということらしい。真似できると思えるくらいまで単純化された解答でありアイデアであるわけだ。むずかしいことをむずかしいままあらわすのは簡単。むずかしいことを誰もが理解できるようにみせるのが知性だろう。

タイトルはDVDを見ていて思わずこころに残った科学者スノークのことば。風船に閉じこめられたムーミンたちを機転をきかせて助けたあと、そんな方法誰でも思いつくという皮肉に対して。

……と、なんかまだイイこと書いてイイ感じの人っぽく見せようとしてるから、次はもっと意味ないこと書こうっと。

フィルムへの誘惑

2019/02/06

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3年前のオランダ・アムステルダムで、はっきりと僕が自覚したことがあった。泊まっていたホテルの部屋でひらめいたあるアイデアをおさめようと、一眼レフのカメラを構え息をひそめ記録するその数十秒のあいだのことだった。ファインダーをのぞきこむ僕の胸がはげしく高鳴り続け、自分でもびっくりした。

ジョン・レノンとオノヨーコが裸で寄りそい、記者たちの質問にベッド上でこたえるというインスタレーションアートがあったのだが、その舞台がアムステルダムのホテルであったという記憶もシンクロしたりで、家族と離れて海外で仕事を行うストレスとあいまって、愛やパートナーシップをあらわすアイデアに過敏に反応したのだと思う。まるでヨーコと精神がシンクロしたかのような気持ちになったのだ。

「実写で映像をつくりたい」

フィルムへの誘惑を僕はこのとき強く意識した。以前から短編映像の制作は手がけていたが、帰国後はより意識的に習作をつくっては自分のなかに経験を蓄え、少しずつ実写のほうへと近づいていった。

2018年夏、縁あって鹿児島の切子師 鮫島悦夫さんから薩摩切子の映像をつくってもらいたいと電話がかかってきた。制作過程は薩摩びーどろ工芸さんのブログ記事にもなっています。撮影風景の様子や、初めてづくしの新作発表会の様子も、読み返すとなんだかもう懐かしい。公開開始したプロモーション映像はこちらのYouTubeから。

映像って「時間のデザイン」だと僕は思うし、
数学的な思考やリズムとセットになるところがまた面白い。

(つづく)

土台づくりの一年に

2019/02/04

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2019年2月4日をもって独立満8年。
依頼してくれる方あっての仕事なので、本当におかげさまだなと思っています。
今年はこれからに向けての土台づくりの一年になりそうで、
意識的に言葉にしていくことにします。

5月の朝に生まれた物語

2018/05/07

180507 朝からみぃさんとライン。家族は僕とべつの場所で二、三日過ごしている。彼女が劇団をやっていた頃の仲間と会ったみたいで、当時のはなしに花がさいたらしい。劇もやりたい僕としては、彼女の劇団ホノルルアカデミーが再結成されたらいいなと思ったので、つっついた。反応はわるくない。タイトルまで決まった。『造花』である。これは彼女の脚本なので、自分だったらどんな脚本かなと考え、L’Arc-en-Cielの1998年のシングルダブルリリース「火葬」と「浸食」にあやかり、浸食ならぬ『侵入』というタイトルにしてみた。内容は細菌の話である。

『侵入』

菌だって生きている。ひとつの生命だ。寄生する母体に影響を与えてしまうほどの。ひとつの世界の状況を変化させて、思いもよらず消滅させてしまう可能性があることを菌自身はしらない。ただ生きているだけなのだ。居心地がよいから気づいたら居着いてしまっただけなのだけど、免疫系といざこざを起こしてしまう。世界の安定を司っているのが免疫系だ。菌はどこからやってきたのだろう。じつは世界の外側からだ。宇宙から星くずにくっついてチリとしてやってくる粒子だ。異世界の粒子。生態系の外の生命だ。菌と免疫系の抗いは続くが、世界のバランスは一方には傾かない。両者はただ世界の中で安住したいだけなのだ。激しくぶつかりあうが、次第に距離感がつかめるようになってくると、互いが補完しあい、出会う前よりも経験を重ねたことで成長していることに気づく。菌も共生する方向へ向かいだす。そのうち菌の仲間──家族とも言っていい──がやってくるが、自分がバリアになってしまい世界には入ってこれないことを知る。家族との別れであった。自分も菌から抗体へと変化していた。家族たちのなかには新しい世界を切望するものもいた。経験をしてみたかったのだ。方法はあった。それぞれが自分であって自分で無いものになるのが条件であった。記憶、意識、身なり、そういった類いを他の生命体や非生命体のものと混ぜこぜにされて世界に送り込まれるのだ。ワクチンという呼びかけであった。その世界に入れば家族とも再会できるかも知れないと淡い期待を抱く者もいた。そういう者は自ら志願して身をゆだねた。ただしワクチンは不完全なシステムであった。送り込まれたがそのまま世界を失う者もあった。そういう者は粒子として声も出さずに世界に居る家族を見つめた。世界を滅ぼすと忌み嫌われながらも再会を切望して今も漂っている。また、運良く世界に入れた者もいた。しかしそこは個別の世界で、パラレルワールドであった。再会を望む、彼、彼女の居ないもうひとつの小宇宙の中に投げ込まれたのだ。世界の膜と膜を互いにこすり合わせて、押し合うことで存在を確認しあった。決して見る事はできず、ひょっとすると触れていると感じていることさえ勘違いかもしれなかった。でも、菌はそれでも良かった。本人は憶えていないが自分の意思を全うしたのだ。世界と世界がところどころでぶつかった。一方の世界が侵入をこころみるが、膜は破れない。そこで築かれるのは新たな膜、世界であった。侵入はできず排出ばかりがなされ、膜は無数に増殖していった。ただその間を粒子だけがすり抜けて漂っている。それはひとつの星団のようであった。いくつもの世界が生まれては死んだ。そのたびに粒子に戻り、チリとなっては他の星団に飛んでいった。エネルギーは渦となった。動きを追っていると時間が刻まれ、物語が生まれた。粒子は粒子であるうちは、時間と無関係であった。動きの外にいたのだ。何かの弾みで動きの内に入ると、いくつかの粒子が集まった。気づけば自分たちがひとつの菌になっていた。いつのまにかひとつになっていたのだ。世界のどこか、いつの時間かは分からない。その外であろうか。その内であろうか。着床すると、そこに侵入する者はもう誰ひとりあらわれなかった。膜が揺れ、ただ静けさだけがあった。

という話。これ劇になるかな?
小屋みたいな劇場で、ひとつの小道具だけで。

だれが すきなの

2017/04/24

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ぞうさん ぞうさん

おはなが ながいのね

そうよ かあさんも

ながいのよ

 

ぞうさん ぞうさん

だれが すきなの

あのね かあさんが

すきなのよ

──童謡『ぞうさん』(作詞/まど・みちお 作曲/團 伊玖磨)

「進化する!地域の注目デザイナーたち」に掲載していただきました

2017/03/10

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お知らせが遅くなりましたが、パイインターナショナルさんから2月に発売された「進化する!地域の注目デザイナーたち」という書籍に掲載していただきました。北海道から沖縄まで、デザイナー約120名の代表的な仕事と連絡先の紹介です。

ナガサキリンネ、サンエスファーム、村菓子×inaho、長崎空港ビルディングの商品パッケージ、地元・雪浦の川添酢造の仕事を一部紹介してもらっています。タイトル通り進化!したのかはかなり怪しいですが(←ある部分はものすごく退化。事務能力とか……)、ひきつづき長崎・雪浦を拠点にデザインを続けて参ります。よろしくお願いします。

進化する!地域の注目デザイナーたち/パイインターナショナル

 

島日記1

2017/02/26

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怪しい雰囲気が漂いますがここは飲食店。(もずく入りお好み焼きは◎!)
週末から沖縄・石垣島に家族で弾丸ショートトリップ決行。なのでしばらくは島日記と称して徒然を……書くのか?
宿のホストの送迎車でかかっていたBGMが情景とピッタリで、まるで映画やなぁと思った瞬間もあったり。移動の疲れが三線の音色とオリオンビールで溶けていったり。ハンモックから降りれずジタバタする息子を眺めたり。仕事持ち込みながら、場所だけ変えて楽しんでます。

 

環境と心はセット。
成功と仲間はセット。

 

先週参加したアートイベント内で交わした、上記のフレーズが印象深く残りながらの島旅。石垣島は20代前半に訪れて以来。その時はパラグライダーをやってみたりとアクティブに過ごしながらも、どう生きていくのかと思い悩む真っ最中。この島から急転直下となる人生の節目を迎える事態となりました。(あぁ、この話はいつかきっと)

時を経て、自分が家庭を持って再び訪れることになるとは思いもよらずで、人生はフシギ。この石垣島とさらに南の波照間島は、僕を次のステージに導いた場所なので、このタイミングも何かの縁なんだろうと捉えています。

まずは島を歩こう。

冬の日記6

2017/02/17

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大事なのは、自分は何者なのかでなく、
何者でないかだ。急がないこと。

 

ある詩集を読んでいて出会った一文。ここ2,3日僕のなかに留まっている。
デザインの仕事、特に相手のまだ言葉にならないような想いを言葉にしていく場合に置いて、僕の役割は相手を何者かに定めることと言っていい。

だけど、ひとつの枠をくくるとそこからこぼれ落ちる方も見えるだけに、本来割り切れるような「わたし」や「あなた」の説明なんて半分嘘で、もっと曖昧なものに真実は宿っていると思っている。

好きの中に含まれる20%の嫌いとか、やさしいの中に含まれる10%のイライラとかとか。

「そうは言っても」。とそれもあやふやにするのだけれど。