手を動かすこと

2014/09/27

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久し振りに持ちました。彫刻刀。学生以来。久し振りに彫りました。彫刻刀。忘れてましたこの感触。無心でサクサク。気づいたら3時間。どう見ても下手クソ。なのにそれがまた良い。勢いよく彫りすぎて「アッ!」とか一人仕事場で叫んだり…。手を動かして人のために働く。何も考えずに。こういうのが仕事の本質なのかな、と職人気分のひとときを回想。あ、ちなみに起ち上げに関わる雪浦のNPO法人の印鑑です。(詳しくはこちら)巷の印鑑屋で簡単に作りたくなかったので、自分でやりました。パソコンで加工して「っぽく」も出来たんだけど、それもなんだかな、と。
ジョブ(対価をもらえる労働)とミッション(天職・人のためにする仕事)とその間のキャリア(自分の経験のためにする仕事)。仕事は3つに分けることが出来ると言った人が居たけど、そういう意味では現在のワークバランスは未知の領域。どうやら自然と違うステージに突入していたみたい。「進め」と内なる声が言うので(これってリトル古賀?)そのまま駆け抜ける日々です。進化のヒントはどうやら以下の三点にありそう。
1.手を動かすこと。 2.足も動かすこと。 3.頭は動かし過ぎないこと。

デザインが向く方向について3

2014/08/12

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教育にも関心があって、縁あって県内の商業高校の校長先生や教諭の方々が一同に会する場で、これから本格的に始まる「商品開発」及び「パッケージデザイン」の授業に向けての基礎解説という名目で、「商業とデザイン」という講演を長崎商業高校の松尾先生と一緒に発表させてもらった。「わかりやすかった」「面白い授業はあっという間です」と概ね好評だったので何とかお役に立てたかと思う。(うん、やっぱり噛みましたけど。)講演の最後の方に「教育(education)」の語源であるラテン語の意味「引き出す」というところと繋げて、「デザインという作業は足していく事と思われがちですけど、実は対象の中身を引き出して見極める事でもあります。」と伝えてみた。咄嗟に出たので自分でも後から反芻。だけど、もっと付け加えておけば良かった。「信念を持つという事は、何かをコントロールする力は必要無く、むしろその逆で一歩下がって見守る姿勢が要求される。」誰の言葉だか忘れたけれど、手帳にメモしていたこの言葉。この感覚と最後に伝えたかった事は似ていました。見守る事を言いたかったんです。講演後に質問を頂いた中で、「教えて頂いた技術を踏まえても最後はセンスという事になるのですか?」という方が居た。センスという言葉を自分なりに置き換えて、すぐに伝えられれば良かったのだけど、あらためて答えられるように宿題。ただ、センス=「常識」「普通を知っている」みたいな事かなとこの瞬間は思う。さじ加減のゼロ地点を分かっているかどうかみたいな。これに「良心」があわさっている感じ。……。ただひとつの正解は無いデザインという分野ですが、問う力、納得解までの導き方、常識を含めた一般教養、道徳心や良心、これらの要素はデザインする人にとっては欠く事の出来ない素養だと思うので、この辺りを小学生位の年代から働きかけていくと、社会がもっと面白くなるのかなと。なので、ひきつづき教育現場での実践も続けていきます。デザインは一部の人や企業の道具なんかではなく、人が自分の生を肯定するための術になるだろうと僕は思っています。(完)

デザインが向く方向について2

2014/08/12

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実は農に対する土から離れてしまったデザインという一例に、自分自身の失敗談がある。グラフィックデザイナーという職から一旦離れて、農事組合法人で働いていた5年程前、運営する直売所に使うイチゴの追い込み販促POPを社内で頼まれた。意気込んでアイデアを練りキャラクターまで考え1週間後に提出。しかし時既に遅し、イチゴのシーズンは終わりを告げ、デザイン「し過ぎた」POPだけが片隅で違和感を漂わせていた。自分がいかに現場を知らずにデザインをしていたかを痛感。店長がタイピングしただけの、ワンフレーズのモノクロPOP。そのPOPを見て商品を買うお客さん。なんてことのないその一枚に遠く及ばない当時の自分のデザイン…。中途半端なプロ意識がすごく邪魔でどうしようもなかった。この後しばらくしてからだろうか。気持ちを入れ替え赤や緑、黒のマジックに筆ペンをポケットに忍ばせ仕事するようになった。ダンボールの切れ端、厚紙、コピー用紙、店に転がるあらゆる素材達に、暇を見つけてはPOPを描き殴って勝手に掲示する事を始めた。反骨的なゲリラ作戦だった。(勿論店長には無断…)結果、似顔絵を描いた生産者が喜んだり、店の活気が高まったり、野菜に興味を持つお客様が増えたりと、目に見えて雰囲気が変化していき、僕も居心地が良くなっていった。店長も最後は容認してくれ、仕事を振ってくれていた。(今思うと寛大な上司でした、はい)結局、デザイナーに戻るために退職はしたのだけれど、この一件で掴んだ事がひとつ。それは体温を感じるあたたかなデザインの重要性。「ヒューマニティー(人間らしさ)」というのは、多くの人が取り戻すべき本来の在り様なんだという事。特にこの時代に置いてはその発露さえ難しい。※写真は前出の雪浦ウィークのワンシーン。愛すべき人間味。(つづく)

デザインが向く方向について1

2014/05/07

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ゴールデンウィークは、最後(?)となるゲストとしての雪浦ウィークへ。目的は参加者側からの雪浦の印象をあらためて感じる為、出向けていない場所や人を知る為、そして記録として残す為(あ、最後の役割は全く果たせてない)例えば写真のガールアグリ堀田さんの畑について。10種類以上の無農薬・有機栽培の季節野菜を自分で収穫→箱に詰め込む→持って帰る。という単純なシステムなんだけど、畑のそばを流れ落ちる山水もここち良く、小屋はカフェへ変身。お茶を飲みつつ収穫を眺め、家族の姿を追いかけてみたり、知人と話し込んだり……と、なんというか「そのままの日常」を出すだけで「良い」という状態。人も多いし車も多い。逆に言い換えればこの土地に置ける「自然な日常」は、既に人々が駆けつけたくなるほどの「非日常」となってしまっている現実。「6分間の伝説のスピーチ」で有名な環境活動家のセヴァン・カリス=スズキさんは、高らかに「21世紀に置ける最も先進的な行動とは、食の生産地に近づくことと小さなコミュニティへの回帰である」とインタビューで答えていた。そう、時代、パラダイムは、シフトしたように思う。農や地域(というジャンル)にデザイナーが入り込む流れが加速していくのは何故か。国による政策の強化(お金の投下)というだけでなく、人々の意識がそこに向けられているからだと僕は感じる。人間、欲しいものに意識は向く、足りないものにも意識は向く。デザインはその人々の意識を察知するし、事実察知した。自然、安心な農産物、小さなつながり(地域・コミュニティー)。時代はこれらを欲している。また刻一刻と失ってもいる。何故それらが失われたのか認識もせず、そのテーマを一過性のトレンドとしてデザイナーが技術任せで装飾してしまうだけの動きに僕はあやうさを感じるし、自分にも戒めている。そのままで美味しい農産物を可愛く見せる必要がどこにあるだろう。大地に生まれたものから土の匂いまで消し去る必要は無いと思う。人はその装飾やシンボル、イメージに対価を払い、本来の価値を認識しないままに受け取って去っていく。これではデザインの誤った運用だ。僕はビル・モリソンさんが提唱するパーマカルチャー(permanent 永久の agriculture 農業 culture 文化 の造語)の考えをどうにか汲めないかと、グラフィックデザインにおけるレイアウトの様に、「適切な関係にもとづく互恵的な集合体づくり」という、文字で表すとなんだか大げさな概念を、農や地域づくりに活かそうとトライしています。水が上から下に流れるように。太陽が同じ方角から出るように。自然が持つそのままの力や、人や土地がすでに持っている資源を活かせればというような姿勢で。そうそう、雪浦移住も具体的に進んでいってます。お陰様で住む家も見つかりました(神様!)。あぁ良かったー (つづく)

汲むこと、通っていくこと

2014/04/16

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相手の心(や気持ち)を汲み取る。ってよく言われるし、汲み取らないと良い仕事では無い。なんて当たり前のように言われる。勿論姿勢を持って望んではいるのだけど、その時のこちらのあり方っていうのは、相手が溢れないよう大きな器みたいでいよう。って考えると大変おこがましいように思えてしまう。じゃあどれだけこちらが大きければ良いのかってなる訳で。そもそもそんなに大きな人は要るのか?とかさ。じゃあ、どんな感じが今の自分にぴったりくる表現かなぁと、台所でコップに水を入れてしばし考える。目の前にあるボウルになる訳ではない…、コップを包む訳でも無いし…、はてさてうーむ。と悩む男。なんて姿は実はほとんど無く、フィルターの様な物かなと思い直した。溢れる水をひとつ残らず通してあげて、網目でとどまるのは不純物だけ。浄化された水は、同じコップに戻るのだけど、以前とは内容が変化して整っている。どうだろう。傍目にはビフォーアフターの違いが分からない時もあるかもしれない。でも当事者の心持ちだけがすっきりしている。うん、この感じがしっくり。他者を大小で見比べる事なく。

 

◎追記:フィルターも色んな種類があるし、フィルター自体が汚れている時もあるので(まさに疲れてしまったり)、この水とフィルターの二項関係を背景含めて見る視点がまた別に必要ということを追記しておきます。はー、なんのことだか分からない人にはさっぱりな記事。笑 すみません。

 

大地のそばへ

2014/04/04

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週に数日、二歳の息子は保育園へ行く。園に向かう道すがら庭先にお地蔵様がちょこんと祀ってあって、二人で腰を落として手を合わせるのが決まり。日課を終えて先を歩いていると息子が付いてこない。振り返ると庭に咲く花の前に立ち止まり、また小さな手を合わせていた。頭を下げてこちらに走ってくる。そう、僕らにはもう、見えない。

─生命はみな天をさしている。が、根はどうしても地におろさねばならぬ。大地に係わりのない生命は、本当の意味で生きていない。─(日本的霊性/鈴木大拙著より一部抜粋)

僕は農業を営む家に生まれ、今はデザインを生業としている。自分の才能やその時のどうしようもない状況に悩み苦しんで、農業の世界に飛び込んだ事もある。結局自分の内にデザインへの愛情がある事を知り戻った。でも、そんな今でも自然や土に触れる事はなんだか難しく、この時代では観念的なものになりやすい。もっと大地のそばへ。こんな想いがずっと心の中に響いていた。妻とは郊外に移る想いを確認し合っていたし、あとはタイミングだけだった。そして、その時は突然やって来た。

西海市大瀬戸町雪浦。雪浦ウィークが有名な、友人たちも多く住んでいるこの地域と縁が繋がった。しかも、まちづくりの仕事や組織づくりも兼ねて。なんだかドクターコトーみたいだと思った。(ちなみにドクターコトーは見たこと無い)自分を必要としてくれる人たちと可能性に満ちた場所が僕らを待っている。行ってみよう。大地のそばへ。
雪浦に地縁のある方、家探し含めアドバイス頂けたら嬉しいです。

「地域発ヒット商品のデザイン」に掲載していただきました

2014/04/02

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3月20日に発売された「地域発ヒット商品のデザイン」に、「じゃがメル」「長崎坂道コロコロ」「沖田のなめらか和ジャム」を掲載していただきました。長崎からはDEJIMA GRAPH羽山さん達のパッケージも収録されています。デザイナーや商品開発のご担当向けという書籍なので、興味のあられる方は是非に。長崎でデザインのご依頼に悩んでいる方へのきっかけになると良いなと。

地域発ヒット商品のデザイン/PIE BOOKS/ 20.8×15.4cm/384ページ

伝えなきゃいけなかった

2014/03/31

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単純に自分の中での気持ちの持ちようだと思うのだけど、言葉をつらつらと書けなくなってしまい(書かなくなってしまい)約3年。今日のさっきのさっきまで「書けない」と思っていたのだけど、えいやっとまた葉と根(このブログです)を始めます。はい。変に完璧主義の悪い癖が出てました。今日と明日で言う事が違うかもしれませんが、日々思考も変わるということでご了承を。
さて、という訳で(なんの訳だか)文体もまだ定まりませんが、「書かない」とか「書けない」とか言って殻に閉じ籠もってしまったのは、実はとても傲慢だったと、先日妻のヨガスタジオに来てくだすった才田春光さんともお話しして気付かされた訳でして。こんな会話がありました。「わたし達の服をひとつとって見ても、そのボタン、その生地、その柄、その色、その縫製、そのデザイン、皆知らない誰か一人一人のアイデア(考え)の積み重ね。それを出し惜しみせずに伝えあったからこそ、今あなたが着ている服になっている」と。
みんながみんなそれぞれの違う道を歩んでいってて、体験を通して気づいたり、日々感じたりするもの、発見したものやこと。それは皆の為にも、そして自分の為にも、「伝えなきゃいけなかったんだ」。という事に、周囲の気掛けてくれる人達のお陰でようやく遅まきながら気づいた今夜。こうしてシンデレラのごとく、0時を針が指す前に(3月中ってことね!)書かんばいかん!とタイピングしている古賀正裕デザインなのです。伝えなきゃいけなかった。ありがとう。も、ごめんなさい。も、でも大好きです。も。
※写真は諏訪神社横の公園内に佇む池原かわかの石碑と2月の梅。江戸後期の本木昌三の活版活字の母型製作に置いて、ひらがな活字の元となる種字を書いた国学者や歌人とも説がある長崎の隠れた偉人です。

紹介してもらいました。

2014/02/14

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前述の対馬の調査はとても有意義だったのですが、気が張り詰めていたのか、戻ってきたら風邪気味でダウン…。妻からはほどほどに。とお叱りを受けました。苦笑 写真は対馬の浅藻(あざも)地区。天道法師のお墓と言われている八丁郭もある聖地です。対馬は初雪もあって寒かったけど自然が美しかったなぁ。さて、以下紹介です。

◉長崎を中心にアーティストやクリエーターの方々のインタビューを集めている「Siteまつを」さんに取材していただきました。主にパッケージデザインの話を主題に5分ほどの音源です。興味のある方はサイト内で聴けますので是非。

◉新刊「地域発ヒット商品のデザイン/PIEBOOKS」(3月発売予定)に「じゃがメル」、「長崎坂道コロコロ」、「沖田のなめらか和ジャム」を掲載させてもらいます。また追ってご紹介を。

対馬へ

2014/02/14

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2月9日から3日間、対馬南部・豆酘(つつ)地区にて1000年以上続いている「赤米神事」の調査へと行ってきました。日本のお米の原種であり、昨年の宮中献穀米にも選ばれた「赤米」です。民間伝承の形でこれだけの時間息づいている事も貴重なのですが、自然信仰(穀物信仰)と神仏とが一体となり、島という閉鎖性も影響してか、神仏分離も起こらず古き日本の信仰の形を残していました。同地区の多久頭魂(たくずたま)神社には大陸から渡ってきた梵鐘があったり、神主様の呼び名にも「宮僧(くぞう)」と「僧」が付いていたり、日本人の包み込む寛容な精神性を感じさせます。独特なイントネーションの豆酘弁や、豆酘美人と称される人々の出自の由来には、深く大陸との交流が関わっているとの話も聞けて、長崎の面白さをあらためて発見しました。

この神事に横たわる「かつて自然(神)と人と食は一体であった」という事実は、僕たちが忘れてしまっていた「大切にする心」をもう一度思い出させてくれそうです。