名付けること、生まれること②

2016/08/30

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(カードの言葉は、本当にそうだなぁ!)

はい、前記事から続けてみます。
第三子の名付け考案期間なんですの流れから、僕と妻の名前の付け方(暗黙のルール編)を語りながら冬は主夫業宣言!と思ってたのですが、「言葉」についてとか、「意識」「存在」について、僕なりに思っていることを書いてみる方が面白そうなので、そっちに行きます。

 

言葉によって存在は作られる。と全記事では強引に書きながらも、前段階として当の本人は言葉にする前にその存在に気付いているからこそ、言葉として表現することを試みてるんだよなぁとも思っている訳で、そのすでに気づき(発見)をしている視点、言い換えればその当人の有する「意識」がより起因になっていきます。なので主題は「意識」へと移っていくのですが…(このあたり控えていたのは、やっぱ変なスピリチュアル系とかと思われたくなかったからかなぁ。ま、いいか。)

 

言葉や思考は、意識のエネルギー(心の働き)だと捉えています。

 

とすると、言葉によって存在は作られる。 → 意識によって存在は作られる。となり、
現実は事実として存在する事だとすると、意識は現実を作れるという事。となります。

 

脳や心臓は意識の媒介装置みたいなものであって、心は肉体とは全然別の部分にあると僕は捉えています。現象に対して潜象という概念があり、「見える世界(この世)」と「見えない世界(あの世)」みたいなものです。肉体は前者、心は後者の位置づけだと思っています。あの世からこの世へとエネルギーを移すこと。と言うと怪しいですが、言葉の働きはエネルギーのこんな動きにも見えます。そしてそれって言葉に限らず、あらゆる創造行為にも言えるかなと。

話はちょっと飛びますが、量子物理学の世界でも物質の元の元である粒子まで迫っていくと、その粒子は、出てきたり消えたりと存在は一定では無い事が報告されています。(点滅する光のようなもの?)そう考えると、自分たちの肉体も粒の集まりな訳で、またその粒と粒の間も相当にスカスカなようです…。ミクロな視点で見れば物質的には「無い」状態の時もある。という不思議な事に…。(そろそろ引き返しましょか。あ、行きます?)

 

物理的には存在しているようでしていない自分たち。(あ、言ってる)
じゃあこの肉体に宿る「意識」とは?「存在」とは?となりますが…

 

えっと、…つづこう。気分転換のつもりが連載になってきてるし。
不思議ですよね〜で締めて、話題もう変えようかな。
うん、そうしようそうしよう。今日も1日スタートだ。あれ?さっき雨降ってたけど止んだ?

(つづく)