デザインが向く方向について2

2014/08/12

DSC_0806

実は農に対する土から離れてしまったデザインという一例に、自分自身の失敗談がある。グラフィックデザイナーという職から一旦離れて、農事組合法人で働いていた5年程前、運営する直売所に使うイチゴの追い込み販促POPを社内で頼まれた。意気込んでアイデアを練りキャラクターまで考え1週間後に提出。しかし時既に遅し、イチゴのシーズンは終わりを告げ、デザイン「し過ぎた」POPだけが片隅で違和感を漂わせていた。自分がいかに現場を知らずにデザインをしていたかを痛感。店長がタイピングしただけの、ワンフレーズのモノクロPOP。そのPOPを見て商品を買うお客さん。なんてことのないその一枚に遠く及ばない当時の自分のデザイン…。中途半端なプロ意識がすごく邪魔でどうしようもなかった。この後しばらくしてからだろうか。気持ちを入れ替え赤や緑、黒のマジックに筆ペンをポケットに忍ばせ仕事するようになった。ダンボールの切れ端、厚紙、コピー用紙、店に転がるあらゆる素材達に、暇を見つけてはPOPを描き殴って勝手に掲示する事を始めた。反骨的なゲリラ作戦だった。(勿論店長には無断…)結果、似顔絵を描いた生産者が喜んだり、店の活気が高まったり、野菜に興味を持つお客様が増えたりと、目に見えて雰囲気が変化していき、僕も居心地が良くなっていった。店長も最後は容認してくれ、仕事を振ってくれていた。(今思うと寛大な上司でした、はい)結局、デザイナーに戻るために退職はしたのだけれど、この一件で掴んだ事がひとつ。それは体温を感じるあたたかなデザインの重要性。「ヒューマニティー(人間らしさ)」というのは、多くの人が取り戻すべき本来の在り様なんだという事。特にこの時代に置いてはその発露さえ難しい。※写真は前出の雪浦ウィークのワンシーン。愛すべき人間味。(つづく)