視点の高さ

2014/01/13

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近所の山に登るのがつかの間の息抜きとリフレッシュになって好きだ。長崎市の市章は五芒星がモチーフなのだが、なぜこの形なんだろう?とずっと疑問だった。その理由が明治時代の世界的な金星観測調査の地であった為と知人から教えてもらったのは最近(でも長崎市の公式説明は違う)、その金星観測碑跡があるのも近所の山の上だった(ちなみにピラミッドもある)。何度か息子を抱えて登ったりしていたが、今日一人の時間が出来たのでゆっくりと普段歩かないルートから登った。途中の段々畑から長崎の街並みを見下ろしていると、自分がぐわんと広がった感覚になって、なんだか空の上から見つめているようだった。鳶が目の前を横切って弧を描く。彼らにとってはそこは空で、僕にとっては畑の中を縫う細い階段の鼻先。斜面の持つアングルにクラクラしながら石段に腰掛け息を吐いた。家々の中ではそれぞれの家族が、掃除をしたり食事をしたり子どもとうたを歌ったり、めいめいの時間を生きている。それが何千戸と連なって眼下に広がっているのだ。神様みたいな気持ちになる。そして思った。考える範囲というのも同じ事かもしれないな、と。例えば家の中の事は家と自分の視線がフラットだから考える事が出来ている。だけど空の上の視点になったら自分の家なんて小さすぎる。そんな時に自分の家の台所の事なんてどうでもいい。王様や殿様だって城のてっぺんから自分の国が見渡せられたから、全体の事を考えられたんじゃないのかなぁ。もっと多くの人が視点を高く持てたら、争いや問題ってずっと少なくなるはず。そんな、「物理的な視点が考える範囲を決めるんじゃなかろうか理論」。想像力の翼、って上手いことばですね。