現在進行形「ing」がより求められる時が来た。

2015/05/20

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先週末は東京へ。
滞在中あらためて個人的な好き嫌いを再確認できたことがあったのでまず防備録を。

【嫌いなこと(苦手)】
①スクランブル交差点などの雑踏 ②大型商業施設 ③作品がずらりと並ぶ美術館やギャラリー ④名刺を交換しあう社交会 ⑤愛想笑い ⑥地下鉄 ⑦乗り換え移動 ⑧ゴシップな話題 ⑨人間同士の順位付け ⑩地方、地域という言葉

【一方好きなこと(心地良い)】
①緑の多い場所・公園 ②静かで小さな空間 ③書店 ④ゆっくりと目を見て話す対話 ⑤その人自身の話を聞くこと ⑥飛行機 ⑦散歩 ⑧生きる為の知恵 ⑨猫の気まぐれ ⑩アフリカが持つ底抜けの生命力

そして本題。もうなんだか「バショ・モノ・コト」としての魅力で人を惹きつける時代では無いなと確信。その3つはどうも固定的で、あやうい脆さを内包しているようにぼくの目には映る。それよりも、その3つを自在に行き交う「ヒト」、それらに影響されない「シゼン」が大いにクローズアップされてくるように思う。「ヒト・シゼン」へ直に触れることを目的とした人々が、「どう自分が感じるか・変化するか・成長するか」を確かめる為に、その場へ足を運ぶような流れがどんどん増えてくる。近年の山登りブームなんかもあながち潜むニーズはその辺ではないか。その瞬間にその場所でしか体験できない事こそ価値で、それは現在進行形の「ing」がより求められるという事だ。なんにでも「ing」を付けた状態、例えば食べ物を買うだけの「Food」ではなく食を囲む「Fooding」としての魅力や、画面での「Look」ではなく現地での「Looking」を体感するというようなのもそうだ。ぼくの実体験として田舎で暮らす方が「ing」を味わう機会は格段に増えるように思う。「バショ・モノ・コト」を通して経験「Experience」を得るだけの段階から、経験している「Experiencing」を感じ得ようとする「Feel」の段階へ。

ぼくらはもう「Feeling」、感情の時代に生きている。(と思う。)