汲むこと、通っていくこと

2014/04/16

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相手の心(や気持ち)を汲み取る。ってよく言われるし、汲み取らないと良い仕事では無い。なんて当たり前のように言われる。勿論姿勢を持って望んではいるのだけど、その時のこちらのあり方っていうのは、相手が溢れないよう大きな器みたいでいよう。って考えると大変おこがましいように思えてしまう。じゃあどれだけこちらが大きければ良いのかってなる訳で。そもそもそんなに大きな人は要るのか?とかさ。じゃあ、どんな感じが今の自分にぴったりくる表現かなぁと、台所でコップに水を入れてしばし考える。目の前にあるボウルになる訳ではない…、コップを包む訳でも無いし…、はてさてうーむ。と悩む男。なんて姿は実はほとんど無く、フィルターの様な物かなと思い直した。溢れる水をひとつ残らず通してあげて、網目でとどまるのは不純物だけ。浄化された水は、同じコップに戻るのだけど、以前とは内容が変化して整っている。どうだろう。傍目にはビフォーアフターの違いが分からない時もあるかもしれない。でも当事者の心持ちだけがすっきりしている。うん、この感じがしっくり。他者を大小で見比べる事なく。

 

◎追記:フィルターも色んな種類があるし、フィルター自体が汚れている時もあるので(まさに疲れてしまったり)、この水とフィルターの二項関係を背景含めて見る視点がまた別に必要ということを追記しておきます。はー、なんのことだか分からない人にはさっぱりな記事。笑 すみません。