書けなくなった時期を越えて、書き出すことにした。

2016/08/19

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「なんだか文章が書けなくなってしまった」という自分の思い込みを外す事にした。書けなくなった理由が分からない様に、また書き出す理由も分からない。ただ自分の中で、表現を外に発信する事を抑えて過ごしたという時間は、味わってみると結構しんどい体験だった。今はようやく「はい終わり!お疲れ様〜自分。」とひとりブレーキを緩めてキーボードを叩いている。言いたいことが言えない(言わない)というのは、人体の構造上に置いても、精神衛生上に置いても、よろしくないのだなと今は思う。
書けなくなったと思って、書かなくなり、書けなくなったのだから、書けると思いこんで、書く事に向き合えば、書けたという、文章にすると非常にややこしい展開でした。解決策は万人が言う(つべこべ言わず)「書け」です。

 

1年以上前の前記事では、感情にクローズアップして終わっていたが、その後から急速にコミュニケーションについての学びを深めている。一人ひとりの感情の奥にある大切な価値観に気づいて共感していく視点は面白くも深い。勉強会も少人数で集いながら雪浦と東彼杵にて定期的に開催しているので、ゆっくりとぼちぼちご案内します。(ちなみに明日8月19日は我が家で開催。満員御礼です。)

 

又、自分なりに共感の実践版として海外でインスタレーションアートとして表現してみようと挑戦もしてみた。(2016年2月アムステルダム)その辺りの詳細も書きたいし、移住してきた雪浦のこと、構想から関わったコミュニティスペースのプロジェクトで抱いた、まちおこしについての考察など織り交ぜながら、これから気ままな思考のメモを公開します。いやぁ重いドアだったなぁ。今、扉ブラブラ。

 

言葉は、誰かに聞いてもらって初めてその役割を果たす様だ。
文章も、誰かに読んでもらって初めてその役割を果たす様だ。
それが誰かじゃなく、自分でもいい。
それが自分じゃなく、あなただったら僕は嬉しい。