デザインが向く方向について3

2014/08/12

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教育にも関心があって、縁あって県内の商業高校の校長先生や教諭の方々が一同に会する場で、これから本格的に始まる「商品開発」及び「パッケージデザイン」の授業に向けての基礎解説という名目で、「商業とデザイン」という講演を長崎商業高校の松尾先生と一緒に発表させてもらった。「わかりやすかった」「面白い授業はあっという間です」と概ね好評だったので何とかお役に立てたかと思う。(うん、やっぱり噛みましたけど。)講演の最後の方に「教育(education)」の語源であるラテン語の意味「引き出す」というところと繋げて、「デザインという作業は足していく事と思われがちですけど、実は対象の中身を引き出して見極める事でもあります。」と伝えてみた。咄嗟に出たので自分でも後から反芻。だけど、もっと付け加えておけば良かった。「信念を持つという事は、何かをコントロールする力は必要無く、むしろその逆で一歩下がって見守る姿勢が要求される。」誰の言葉だか忘れたけれど、手帳にメモしていたこの言葉。この感覚と最後に伝えたかった事は似ていました。見守る事を言いたかったんです。講演後に質問を頂いた中で、「教えて頂いた技術を踏まえても最後はセンスという事になるのですか?」という方が居た。センスという言葉を自分なりに置き換えて、すぐに伝えられれば良かったのだけど、あらためて答えられるように宿題。ただ、センス=「常識」「普通を知っている」みたいな事かなとこの瞬間は思う。さじ加減のゼロ地点を分かっているかどうかみたいな。これに「良心」があわさっている感じ。……。ただひとつの正解は無いデザインという分野ですが、問う力、納得解までの導き方、常識を含めた一般教養、道徳心や良心、これらの要素はデザインする人にとっては欠く事の出来ない素養だと思うので、この辺りを小学生位の年代から働きかけていくと、社会がもっと面白くなるのかなと。なので、ひきつづき教育現場での実践も続けていきます。デザインは一部の人や企業の道具なんかではなく、人が自分の生を肯定するための術になるだろうと僕は思っています。(完)